先月の大相撲春場所、新入幕で幕内最高優勝を果たし、大正3年元関脇の両國勇治郎以来110年ぶりの快挙となった尊富士。 14日目の取組で右の足首を痛め、歩くのも辛い状況だったらしく、一時は千秋楽の休場も考えたというが、兄弟子の照ノ富士(横綱)に「お前ならやれる。記録ではなく記憶に残りたいんだろう。このチャンスはもう戻ってこない」と言われて出場を決めたそうだ。 関取に付き物の怪我は、無理をすると相撲人生に関わる問題なので、是非が問われるところ。 無理をしたことで体を壊し、若くして現役を去った力士も多いという。 結果として幕内優勝したので良かったが、怪我をおして出場したのが良かったのか、休場していた方が良かったのか、その時は判らない。 自分の人生、自分で選ぶしかないんだな。 十両以上の力士が結うことができるという「大銀杏」の髷だけど、あまりのスピード出世で髪の長さや量が足りず、結えていない優勝だったのが記憶に残るね。
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